かじたにの削り節

かじたにからでた毒素、戯言の墓場。本当に暇じゃなきゃ見ない方がいいと思う

こっそり。

こんばんわ〜

私生活もクソもない仕事を半年続けてみた感想です。

俺にとっての喜びを全て失いました。

もう無理なので密かに転職しようかと思いま〜す。

周りの視線がどうとか、評価を犠牲にするとか、親の気持ちとかどうでも良くなってきちゃいました。

今回ばっかりは自分の気持ちだけをとりますわ。

いや、もちろんこんなタイミングで転職するとか将来的にマイナスになる事ぐらいはわかってるけども。

それでもこの環境を変えなきゃいけないと思うほどには追い詰められているのです。

もし今計画してる事が順調に進めば今よりは断然マシになるかな〜。

まあ、何が起こるか分からないのが人生ってよく言うし、やってみるしかないよね。

失敗を踏み台にして表彰台に登るような、そんな心境でおります。

 

あークソ。こんな寒いブログなんて書くぐらいメンタルやられてんだよ。

この先の道は蛇行運転していこうかな

こんなに素敵なこと他には無いだから

BUMP OF CHICKENとの出会いは小四の頃。太鼓の達人に入ってた天体観測が気に入って、当時太鼓の達人を遊んでいたハードでもあるPSPにあの手この手で曲を入れれる様になった時に、まず先に入れたのが天体観測だった。

というのも、あまり大きな声では言えないが、当時はYouTubeに多数の違法アップロードによる楽曲が転がってた時代で。音楽的感性がまだ未熟だった俺はまず有名どころからいろんな曲を聴いた。

夕方のテレビ番組に出てた嘉門達夫の曲とか、コブクロの曲は気に入ってよく聴いてた。

そういう所から音楽の素敵な部分に魅せられていったのだとおもう。

親の音楽の趣味といえば今も変わらずR&Bやヒップホップ、レゲエなど、洋楽をよく聴く印象だったので、邦楽を聴くのはテレビとかラジオぐらいだった。

そんな環境で育った俺はパソコンが家にやってくるまでちゃんと邦楽に触れる機会が無かったのだ。

PSPにはさっき書いたような嘉門達夫とかコブクロの曲も入れたし、天体観測も入ってた。

天体観測を何度も聞くうちにほかの曲も気になって、次にいれたのが確かカルマだった。激しいギターの演奏、ドラムの迫力のある音が気に入ったのだろう。

もっともっとバンプの音楽を聴きたくなって、そのころはFLASH黄金時代が廃れていって間もない頃だったので割と上位にヒットしたラフメイカーだったりとか、ライブ映像も上がっていたのを今も覚えている。

特に印象に残っているのは中学生の頃、真っ赤な空をみただろうかのライブ映像、たしかロッキンのだいぶ古い映像だった。

バンプといえばライブの時に歌詞を少し変えるのが定番みたいな感じだから、初めて歌詞変えて歌ってるのを聴いて凄く感動した。

ライブ映像で他によく見たのは、メーデー、才悩人応援歌、飴玉の唄。

とくに飴玉の唄は、ボーカルの藤原基央さん(メンバー、ファンから藤くんと呼ばれている)が、2番のサビかなんかで本当に限界まで声を張って、マイクが拾えるギリギリぐらいの声で歌っていて、それをメンバーが心配して声をかけるシーンがあったんだけど、それを見た時はああ、このバンドはこんなに全力でライブに来た人達に音楽を届けてくれるんだなあと思った。

バンプはアルバムやシングル毎に隠しトラックっていうのを用意することが多くて、ほとんどのCDやDVDにメンバー全員でちょっとふざけたテンションで歌ってる曲が聴ける。本当にユニークなものだったり、よく聴くと壮大なストーリーがあるものだったり。

こういった所に凄く惹かれていった。

親に頼んでCDをレンタル屋で借りてきたりして、当時出てた曲はほとんど携帯に入れて何回も何回もリピートして全部のアルバムを聴いた。中学生の頃色々あって心がつらい時も、素敵な景色を見に行く時も、嬉しいことがあった時もどんなときも俺はバンプと共に過ごしてきた。

だからこそ、俺が今生きている時間と並行してバンプの姿を映像でも見れる時とか、新曲が出たりした時は心が震える。

初めて自分で買ったwill polisツアーのDVDでは、ライブでは定番の1曲目、Stage of the groundで長い長いイントロが続いて、いざ、メンバーの姿が出てきた!って瞬間に感激のあまり涙が出た。

映像ですらそんな風になるのに実物で見たら大変なことになっちゃうんだろうなあ笑

未だに運に恵まれずライブには行けてないけど、絶対1度はライブに行きたい!!

タイトルは、一番好きなアルバム、present from youの2曲目、バイバイサンキューから。曲のストーリーに合ったフレーズなんだけど、そこだけ聞いたらどこか俺がバンプの曲を聞いている時間の事のようにも思えてとても素敵だと思ったのでタイトルにしました。なんも知らん人からしたらくっさいこと書いてんな〜って思われるかも。笑

そんなこんなで俺のバンプへの思いを書いてきた訳だけども、バンプにはこれからもずっと活動してもらいたい。だけど永遠に続くことはありえない訳で。だから、いつまでもいつまでも俺がこのバンドが大好きだって気持ちを忘れないようにしなきゃいけない。

その気持ちが空に見える星のひとつのような小ささでも。

ここ数年の自分

これはTwitterにも呟いたのだけども、つい先日伊豆に旅行に行ってきた。そこで見た風景だとかみんなで過ごした時間が影響してか、今朝の自分は起きた時になんかいつもと違う感じがした。もう花粉が飛散しまくってて鼻は呼吸器官としての仕事をサボりがちになってるし目も痒ければ鼻水は止まらない。だというのににおいというか空気感に懐かしいものを感じた。これは中学生の頃の自分の部屋で過ごしてきた時の空気のにおいとかに似てる感じがして、そのときは何かおかしいなあとは思った。もちろん部屋は違うし芳香剤だって置いてるし匂いなんてものは変わってて間違いは無いのに不思議だった。

今朝は7時ぐらいに起きて強烈な腹痛におそわれて即便所に駆け込み、用を足したら親と弟に朝の挨拶をして、ご飯を食べた。ここまでは普段とそこまで差異はないんだけど、ここからが普段とは全く違うところ。

ゴミ捨てを頼まれて外に出たら気分が良くてたまらないし、なんならニュース番組を見た時一つ一つのニュースにいつもより関心が湧いた。そのあとアコースティックギターの弦を張ろうと思ってて自室に戻ったんだけどここ数年、何をするにも気が進まないというか倦怠感みたいなものが若干でも湧いていたのがその時は無だった。すんなり作業に取り掛かって、ものの10数分で弦の張替えは完璧に終わった。

何かがおかしい、悪い方に気が向いていないので別に気にする事ではないのかもしれないけと確かにここ数年、自分に関してまとわりついていた何かが外れたような、そんな気がした。

自分で自分の性格を語るのは恥ずかしいけれど、敢えて語るとするなら、

自分は自分の身の回りをよく気にしていて、感情は2枚目をみんなに見せるし、本当に気を許せる人間にしか表向きの感情をあらわすことはほとんどない。

本気で怒ったことなんて人生で1度か2度ぐらい、それも6年以上も前かもしれないし、悲しみは自分のもの、喜びは大袈裟に見せて共有したがる。

つまり人がいいように振舞っているのだ、実際にそれで打ち解けた人間も少なくないし損をしたことといえば抱え込みすぎて気が滅入ることが今まで数回あったぐらい。

つまりは、自分は自分の感情をセーブして生活していたのだ。

楽しいからって本当の楽しい具合は言ってる事と少し違うし、悲しくてもみんなに悟られないように振舞ってたし、怒る事なんてのはまず自己解決して軽くしてから口に出してたから本当の怒りじゃなかったし。

それが今はほんの少しだけ自分に正直になってる気がする。

興味があることとやる気があるのとは少し意味合いが変わるという事を理解出来た。

今まで無理してこなしてたあらゆる事のウェイトが軽くなって、これから少しずつ楽になれたらいいなあと思う。

でもこれらのことって、中学生の頃は重みに感じてなかったんじゃないかな〜って。

当たり前のようにそうしてたし、自分がそうする事で人に迷惑をかけないならそれが最適解だと思ってた。

それが多分高校生になったぐらいで価値観が変わったか、環境の変化で都合が合わなくなったんだと思う。

気持ちが若返ったおかげで受け入れられてるだけかもしれないけど、今はその方が気分がいいし、もうすぐ自分にとっての新しいスタートが待ってるから、

次はいい気分で過ごせるような心境でいられたらいいな。

ちっちゃい橋の手すり

テストが終わり、土日に突入したけど特に何もしなかった。各々出かけたり集まったりしてた人たちも居たみたいだけど無だった。自分に何かあったかといえばどん兵衛のお揚げを吸引したりビートマニアの段位認定九段に受かったぐらい。クソどうでもいい土日を過ごしてしまったことに後悔が募る。バイトを入れれば2万円は稼げたしキャンプに行ってればそこで素敵な発見があっただろう。しかしそれはただそこにあったかもしれない土日として消えてしまったのだ。家に引きこもってうどん。外に出ればゲーセン。そんな感じで自分の休日は完成してしまったのである。f:id:Kjtn_R:20181210112103p:image

木漏れ日

今回は明るいお話。今日は12月だと言うのに朝から18℃ぐらいという異常な天候に見舞われた。自分は自転車通学をしているのだが、前日に雨予報だったので電車で通学する予定だった。しかし、今朝起きてみれば時間は起きるはずの時間の40分も後。電車は早くから乗らないと学校に間に合わないので絶望したけど、なんと外は晴れ。大急ぎで支度をして自転車を漕ぎ出してみれば暖かい陽気に気分も上がる。生憎速度計は不調で全く気が抜けない通学だったがイヤホンから流れるレゲエのサウンドに耳を傾けつつまるで春のような空気を切って走った。これが先日友人に自転車を整備して貰ったおかげでとても快適だった。普段よりも10分早いペースで学校に到着したので一安心だった。一応卒業に向けて気が抜けない学生としてテストの日に遅刻なんて事は出来ない。とまあこんな風に普通にしてりゃいい事だって沢山あるのだ。今日だけでもいつもやるゲームをゆっくり練習できたりとか昼→夜とご飯がいなり寿司だったりとか。前回陰鬱な内容をたらたら書いたけどあれだって沢山ある出来事の1部でしか無いし、そのことを僕は認知できている。だからこそ悪い事を理由に何かを投げ出したりはしないし、ムシャクシャして物に当たることもない。このブログはそんな出来事の断片を気持ちで消化しきれなかった部分をつらつら書いていくものにしていくつもりだ。書いて消化できるならそれが平和だと思うでしょ?笑

机の裏

自分は卑怯だと思う事がある。散々自分がゴミだクズだと言われても条件反射的に違うと否定してしまう癖があるから。よく考えてみれば外出の予定を断ったのを雨のせいにするのはその場逃れの言い訳でしかないし。雨降っててもレインコートとかいう大発明を使えばいいし、なんなら用事優先で電車バスを使えばよかったのかもしれない。それを自分ではおかしい事だと思ってしまう。面倒だし、とか、大変だから。の一言で済ませてしまう。これは非常に傲慢だと言えるのだろう。それがどうした言ってみれば案外抵抗が無いじゃん。その後に思わず主観を押し付けていた事に気づく。これが悪い癖。相手の目線になってみれば外食が決まっていた事で家での用意は考えていないし気力とお金がなければ対応ができない。悲しい事に自分は自分を守るあまり他人を困らせてしまっていたのだ。それを何の気なしにやらかしてしまっていた事を時間が経って悔やむ。こんなにも自分勝手な事があるか?残念なことにそれが頻発しているかじたにという人間はクズでどうしようもないのかもしれない。優柔不断が悪さをして人を嫌いになれない。嫌いになれないから傷つけられるし傷つけてしまう。軽率なコミュニケーションで相手を困らせているのかもしれないし自分も困ってる。こうやっていらん心配ばかりしては一人悩む事が最近増えてきた。そのせいで純粋に喋れないし人と接せない。それがどうしても悔しいからこのブログを立ち上げました。誰の得にもならない、後から見返して逆に辛くなるようなゴミの掃き溜めをムダだと思えるようにしばらく続けていこうと思います。