かじたにの削り節

かじたにからでた毒素、戯言の墓場。本当に暇じゃなきゃ見ない方がいいと思う

ここ数年の自分

これはTwitterにも呟いたのだけども、つい先日伊豆に旅行に行ってきた。そこで見た風景だとかみんなで過ごした時間が影響してか、今朝の自分は起きた時になんかいつもと違う感じがした。もう花粉が飛散しまくってて鼻は呼吸器官としての仕事をサボりがちになってるし目も痒ければ鼻水は止まらない。だというのににおいというか空気感に懐かしいものを感じた。これは中学生の頃の自分の部屋で過ごしてきた時の空気のにおいとかに似てる感じがして、そのときは何かおかしいなあとは思った。もちろん部屋は違うし芳香剤だって置いてるし匂いなんてものは変わってて間違いは無いのに不思議だった。

今朝は7時ぐらいに起きて強烈な腹痛におそわれて即便所に駆け込み、用を足したら親と弟に朝の挨拶をして、ご飯を食べた。ここまでは普段とそこまで差異はないんだけど、ここからが普段とは全く違うところ。

ゴミ捨てを頼まれて外に出たら気分が良くてたまらないし、なんならニュース番組を見た時一つ一つのニュースにいつもより関心が湧いた。そのあとアコースティックギターの弦を張ろうと思ってて自室に戻ったんだけどここ数年、何をするにも気が進まないというか倦怠感みたいなものが若干でも湧いていたのがその時は無だった。すんなり作業に取り掛かって、ものの10数分で弦の張替えは完璧に終わった。

何かがおかしい、悪い方に気が向いていないので別に気にする事ではないのかもしれないけと確かにここ数年、自分に関してまとわりついていた何かが外れたような、そんな気がした。

自分で自分の性格を語るのは恥ずかしいけれど、敢えて語るとするなら、

自分は自分の身の回りをよく気にしていて、感情は2枚目をみんなに見せるし、本当に気を許せる人間にしか表向きの感情をあらわすことはほとんどない。

本気で怒ったことなんて人生で1度か2度ぐらい、それも6年以上も前かもしれないし、悲しみは自分のもの、喜びは大袈裟に見せて共有したがる。

つまり人がいいように振舞っているのだ、実際にそれで打ち解けた人間も少なくないし損をしたことといえば抱え込みすぎて気が滅入ることが今まで数回あったぐらい。

つまりは、自分は自分の感情をセーブして生活していたのだ。

楽しいからって本当の楽しい具合は言ってる事と少し違うし、悲しくてもみんなに悟られないように振舞ってたし、怒る事なんてのはまず自己解決して軽くしてから口に出してたから本当の怒りじゃなかったし。

それが今はほんの少しだけ自分に正直になってる気がする。

興味があることとやる気があるのとは少し意味合いが変わるという事を理解出来た。

今まで無理してこなしてたあらゆる事のウェイトが軽くなって、これから少しずつ楽になれたらいいなあと思う。

でもこれらのことって、中学生の頃は重みに感じてなかったんじゃないかな〜って。

当たり前のようにそうしてたし、自分がそうする事で人に迷惑をかけないならそれが最適解だと思ってた。

それが多分高校生になったぐらいで価値観が変わったか、環境の変化で都合が合わなくなったんだと思う。

気持ちが若返ったおかげで受け入れられてるだけかもしれないけど、今はその方が気分がいいし、もうすぐ自分にとっての新しいスタートが待ってるから、

次はいい気分で過ごせるような心境でいられたらいいな。